第3代会長 櫻内義雄元衆議院議長 平成14年4月5日〜平成15年7月5日(御逝去まで)

要請書提出

 前記第2代会長・木村睦男元参議院議長は、亡くなられるまで、体調を回復して、当関係三団体を統率するつもりでおられたので、後継会長を決めておられなかった。当団体は役員会を開き検討した結果、姉妹団体(財)協和協会が、福田赳夫会長御逝去後、櫻内義雄元衆議院議長に、会長をお願いしていたので、当団体も、櫻内義雄元衆議院議長にお願いしたい、と決したので、清原淳平専務理事からお願いに出て、御快諾をいただいた。
 義雄先生のお父上は、商工相、農相、蔵相などを歴任された櫻内幸雄衆議院議員。義雄先生は、慶応義塾大学経済学部を卒業され、鐘紡に入社されたが、昭和13年応召を受け、中国戦線で右腕貫通銃創を受けたため除隊。
 父上・幸雄蔵相の秘書を経て、昭和22年、東京1区で衆議院議員。のち参議院議員も務めたが、昭和27年、父上の選挙区・島根全県区を承継、通算18回当選。その間、通商産業大臣、農林大臣、建設大臣、外務大臣などを歴任され、平成2年〜同5年まで衆議院議長として、名議長と謳われた。平成11年3月には、議員在職50年の特別表彰を受けておられる。
 第3代会長・櫻内義雄先生は、平成14年4月5日に当団体会長に就任されたことにより、岸信介元総理が創立された4団体すべての会長に、逝去されるまで、就任してくださっていた。
 櫻内義雄先生の書はない。前掲のごとく大戦前の中国戦線において、右腕に貫通銃創を受けたため、右腕がやや御不自由だったからである。しかし、誠実なお人柄のゆえに、御高齢であっても、いろいろと御尽力くださった。政府へ要請書を提出する時には、みずから総理のところへ出向いてくださった。上の写真は、小渕恵三総理との面談の場面。平成15年7月5日逝去、91歳。

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