平成26年5月14日(水) |
東日本大震災の統合任務部隊司令官として!! |
君塚栄治先生
前自衛隊陸上幕僚長、東日本大審査救援の自衛隊総指揮官
3年前のあの東日本大震災における大地震・大津波・原発事故にあたり、時の菅直人首相は、逐次、自衛隊に出動命令を発し、合計10万人を超える自衛隊員が被災地救済に出動しました。その際、自衛隊の総指揮をとったのが、君塚栄治東北方面総監(平成23年8月5日以降、陸上幕僚長)でした。警察や消防も大変でしたが、自衛隊員の御苦労は大変なものがありましたが、しかし、その実情は、明らかにはされませんでした。
その君塚栄治様が退官され、民間会社の顧問を務められていることを知り、動員された当時の自衛隊員の御苦労と、その総指揮官としての御努力を語っていただくことにしました。
その御講話の内容は、多岐にわたり、筆舌に尽くせないものがありましたが、その一つ二つを記すと、大震災に伴う大津波の浸水面積は500km2で、東京23区の面積に匹敵する広大な地域であり、自衛隊も10万人という大部隊なので、陸自を中心に海自も空自も加わった統合任務部隊を初めて編制し、単一の司令部の指揮下に置く編成をとった。被災死者のうち90%以上が津波によるものなので、まず、生存者の確保、次いでご遺体の捜索に当たった。ただ、当時は降雪があり、まず雪を除去し、瓦礫を取り除くという大変な作業であった。特に、日本南部から動員された部隊は、車両も夏タイヤなので走行できず、防寒服も十分なく、寒さに凍える状態だったが、隊員はよく頑張ってくれた。自衛隊の任務としては生存者捜索であるが、ご遺体が多く警察も手が廻らないので、御遺体の搬送や一時収容も指示し、その場合は、極力丁重に故人の尊厳を守り、御遺体を収容所に運ぶ際は、お一人につき隊員十人を配した。また自衛隊員たちに、「先憂後楽」つまり、まず被災者を先にせよと指示し、被災者に温食を提供し、隊員たちは冷えた缶詰を食べ、風呂にも入らず、地面に寝た等々、涙の滲むお話でした。
●ご案内状(pdf)